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遺霊に祈りをささげました。       カンボジアスタデイツアー No.2

8月4日(土)、午後3時過ぎ、予定通りプノンペンに到着し、小雨の中にGEJプノンペン事務所ソンバー副所長の出迎えを受けて、無事ホテルに入りました。 食事は、ホテル隣のレストランでとりました。 
翌5日、日曜日は、ポルポト政権時代の負の遺産と言われているキリング・フィールド(大量虐殺場)、日本の支援でメコン川に架けられたつばさ橋そして王宮などを見学しました。

8月4日(土) 

・ホテルへの車窓から
中国資本が沢山入り、大型ビル工事や高架橋など変貌しつつある市街を車窓からみて、ホテルへ向いました。

空港からホテルへ。 あちこちで建設工事が

高架橋が出来、混雑緩和に役立っていました

・夕食@青葉レストラン
ホテル隣の台湾小料理店で夕食をとりました。 比較的日本人に合う料理を食べながら、ツアー最初の集まりですので自己紹介から始まりました。
皆さん明日からのハードな行程を前に、情報交換をしながら大いに英気を養いました。
        先ずは、乾杯から。 ビールが一寸
値上がりしていました

8月5日(日)

・ホテルレストラン(朝食)

ツアーの初日の今日は、見学が主ですので、朝食はゆったりとして頂きました。

バイキングスタイルの朝食です

トロピカルフルーツと調理人さんです

銘々、最初の朝食を楽しみました

キリング・フィールド
ポルポト政権時代に大量虐殺場(キリング・フィールド)として使用されたプノンペン近郊チュンエク村の元中国人墓地を訪問し、遺体を投げ入れた沢山の穴や大量の遺骨など、虐殺の有り様が目に浮かぶその悲惨な様子に胸を痛めました。市内のトウール・スレン収容所から送り込まれた多くの罪の無い老若男女そして子供たちが有無を言わせずに処刑された場所です。 この場所は、カンボジア全土に散らばる300ヵ所以上の虐殺場の一つとの事ですが、残酷極まりない有様が偲ばれました。

遺骨や遺品が納められた慰霊塔です

参加者皆、手を合わせて冥福を祈りました

沈痛な面持ちです

幼けない子供たちを打付けて殺したと言われる木です

・つばさ橋
希望のつばさ橋は、日本の約121億円の援助を注ぎ込んで、で2015年4月に難工事の末に完成したメコン川を跨ぐ全長5.4Kmの吊り橋です。雨季の水を集めて滔々と流れるメコン川は、水量が増えて溢れていました。 この橋は、隣国ベトナムのホウチミン市に繋がる、最重要な幹線道路国道1号線に掛けられバンコック・プノンペン・ホーチミンを繋ぐ南部経済回廊の一部を担っています。
                 水量が増えて川幅が広がり、

周りに洪水を引き起こしています

 
カンボジアの500リエル札裏面です。
日本のODA(政府開発援助)による無償援助で
架けられた通称つばさ橋(左)、きずな橋(中)
そして日本とカンボジアの国旗が印刷されています。
つばさ橋完成記念塔で

元フェリー発着場近くのレストランで昼食です

・王宮
雨摸様になって来たので、プノンペンに戻ってからの予定を変更して先ずは、王宮の見学をしました。
即位殿やシルバーパゴダ等は、金銀・翡翠等をちりばめた内装品と仏像が沢山ありました。
シルバーバゴダは、その通称の由来の銀タイルが5,329枚床に敷き詰められています。 
正の遺産の一つでしょうか?

即位殿の脇の広場で、国王の住居を望んで

シルバーパゴダ前の広場で

シルバーパゴダの外側面で、

“カイラス山”(チベットの高峰、仏教・ヒンドゥー教の
聖地)を模した丘の泉です
              具合の悪い身体の部位へその水を
かけると治るとか?
・イオンモール
首都プノンペンは、1975年4月、ポル・ポト軍の入城で全住民が農村部に強制移住させられ、一時ゴーストタウン化しその後の内戦で荒廃してしまった過去を持ちます。 今は人口150万のカンボジア第一の大都市に復興し、高層ビルが多く建ち、近代化の為に彼方此方で道路工事等インフラ整備が進んでいます。2014年6月に開店したイオンモールは、品揃えも良く、生ものも新鮮そうでした。一般市民も来ていましたが、最近急増しているレクサスを駆る富裕層が主な客か?


 

一階のイベント広場には、盆踊りのやぐらが組まれ、

日本人会主催の夏祭りの屋台が沢山でていました。

日本文化の紹介にも役だっている様です。

・夕食 @ソリアレストラン

 
 
 
夕食は、ホテル近くのソリアレストランで食しました。

恒例の、参加者の乾杯の挨拶です。

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