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スタディツアー報告 第1回

プノンペン観光

83日に成田空港にてツアーメンバーが集合し、カンボジアへと渡りました。

カンボジアの首都プノンペンについて空港を出ると、むわっと湿気と熱気が体を包み込みました。といっても、気温は31度から32度。同じ時期の日本は35度~38度。猛暑に比べたらまだマシな方でした。

【プノンペンの町並み】

カンボジアの首都プノンペンは、中国系を中心とした外国系の企業によって多くの建造物が建てられています。高層ビルやマンションなどがあちらこちらで建てられていました。

 

市街地は交通量が多く、渋滞する車の間をバイクやトゥクトゥクが通り抜けていきます。

大きな道路に面した場所はオフィスであったり、商店街であったり、整備された建物が多いのですが、細い道路を覗いてみると、舗装が行き届いていない細い道の両脇に店を出して、雑多に日用品や生鮮食品を販売し、街の人がそれを買いに集まってきている様子を見ることができました。

キリングフィールド

【キリングフィールドの慰霊塔】

木々や草花が生い茂り、蝶が飛び、鳥のさえずりが聞こえる公園。木漏れ日が落ちるそこは、とても静かで穏やかな場所でした。

しかし、中央に立つ慰霊塔を見ると、中には大量の頭蓋骨が見上げる高さまで安置されています。キリングフィールドはおよそ45年前、ポル・ポト政権時の大量虐殺が行われた処刑場でした。

今では草の緑で覆われ花を咲かせている場所は、数百数千の遺体が埋められていたところ。

さまざまなミサンガがぶら下がる1本の太い樹木は、連行された人びとの子どもを殺していたところ。公園のあちこちで当時の残酷さを感じました。

慰霊塔に花を手向け、神妙な面持ちで説明を聞きながら公園内を歩き、当時の悲惨な歴史をたどっていきました。あまりにも多くの人びとが埋められたために、今でも時に遺骨が発見されるとのことです。私たちが歩いた足元にも、ところどころに骨や衣服が見えている場所がありました。

 

多くのカンボジア国民が殺されてしまったことで、カンボジアは知識や文化、技術の多くを失いました。その影響は現在も続いており、カンボジアは多くの国々の支援を受けながら徐々に発展をしていっています。

つばさ橋

【広い川幅のメコン川にかかるつばさ橋】

広大な平地が続くなか、プノンペンからしばらくバスで移動していた私たちの前に、突如巨大な橋が出現しました。日本の無償援助により建設されたつばさ橋です。川幅の広いメコン川にかかるこの橋は、2015年に開通しました。

この橋が架かるまでは交通手段が船のみ。その道が東南アジアの物流の大動脈であったこともあって、日常的にひどい渋滞が起こっていました。川の連絡船に乗るのに6時間から10時間かかっていたそうです。

2kmの長さの橋は、遠くからも見えるほど大きく、非常に美しいフォルムをしていました。今ではカンボジアの500リエル札に印刷されています

 

つばさ橋の中央で、記念撮影に路上駐車できるよう警備員が配置されており、彼らの警備の元で、集合写真を撮影しました。

日本のカンボジア発展への支援を、このような形で実際に見ることができて、感慨深くなりました。

イオンモールプノンペン

日本でおなじみイオンモールが、カンボジアのプノンペンに進出しています。高級マンションや高層ビルが立ち並ぶ、プノンペンの中でも高所得層が多く住む場所に建てられています。外装も内装も日本のイオンそのもので、非常に清潔感のあるショッピングモールでした。

休日であったこともあり、モール内は非常に多くの人がショッピングに来ていました。生鮮食品売り場に行ってみると、ドリアンが売られていたり、ドライフルーツが量り売りされていたりと、東南アジアらしい品揃えもあり、ツアーメンバーは日本ではあまり見ない品揃えを楽しみました。

カンボジア王宮

カンボジアは国王が治める王国です。私たちは実際に国王が住み、執務をする王宮の一部を観光しました。
各国から多くの観光客が訪れていますが、服装に厳格な規制があり、王宮の敷地内は露出の高い服装は禁止でした。王宮は、金や大理石、ガラス石などの天然石をふんだんに使用し、さまざまな装飾品で彩られていて、豪華絢爛で圧倒されるばかり。仏教とヒンドゥー教が混ざり合った装飾や壁画があり、カンボジアの歴史を感じさせるところでもありました。
 
スタディツアー最初は、プノンペンをじっくり堪能した日となりました。縦横無尽にバイクが走り、車やトラックがひしめく道路。その脇では露店の市場が行われていて、どんどん成長していくカンボジアの熱気を少し感じられたような気がします。
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